i2i無料WEBパーツ
くも膜下出血から脳梗塞へ そのとき家族は 忍者ブログ
2008年8月母が突然くも膜下出血で倒れました。その後脳梗塞になり、遠く離れた息子の私と妹、 そして母と暮していた父、そしておばさんまで。家族と母の闘病記録を記していきます。
google ads
最新トラックバック
最新コメント
[10/07 sono]
[05/30 田中諒平]
バーコード
お問い合わせはこちら
[1]  [2]  [3]  [4]  [5]  [6]  [7]  [8]  [9]  [10]  [11
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


他の方の闘病体験

母がくも膜下出血で倒れてから、父は毎日母の看病に病院に行っています。
父はシルバーで幼稚園の交通整理の仕事を朝と夕方、月~金しています。父は辞めると言いましたが、母の看病だけの生活になるとそれこそ、社会から取り残されるというか、話し相手もいなくなりおかしくなってしまうといけないし、仕事だけはどんなことがあっても続けてくれるように頼んだ。

朝仕事に行き、昼前には病院にいき、再び夕方仕事に行きそれが終わってまた病院にいき、帰ってきて風呂、食事、洗濯とまいにちヘトヘトのようだ。

父はもともと物忘れがひどかったり、自分は料理が出来ないので買ってくる食べ物は刺身とつまみだけ。それにビールという毎晩を送っていたようで。妹から父に何とかしっかりした食生活をするように言ってくれと頼まれた。

それで、大阪に帰ったと気に父と約束したことは

毎日、野菜の入った惣菜を一品食べる。
毎日、日記をつける
毎日、私に電話をする。(心配なので「今から寝る」だけでもいいので)
携帯電話は常に携帯する。

ということでした。

しばらくは実行できていましたが、電話は3週間ほどしか続きませんでした。

しかし、父は几帳面なので、まぁほかの人が読んでも分る内容ではないですが、毎日簡単な日記はつけ続けています。

2008年8月末
PR

他の方の闘病体験

9月25日(木)
妹と父はとりあえず元通りになったので一安心。。
今日は母のシャント手術と残りの脳動脈瘤の手術日。朝自宅の草刈を済ませ昼過ぎから大阪に向かう。途中昼食を取ってから3時前に病院到着。

2時に手術室に入り2時半頃から手術が始まったらしい。手術室から出てきたのは6時半ごろ。母はしっかり目を開けていたが寒さのせいでガタガタ震えていた。再びICUに入る。

30分後ICUにて面会。視線ははっきりと僕たちを見ているがまだ水頭症が完全には引いていないので、理解はしているのかどうか分らない状態だった。みんなで母の体をさすり温めると20分ほどで震えはかなりましになった。ICUで様子を見て早ければ2日ほどで一般病棟に入りまた流動食からはじめ、お粥を食べれるようになってからリハビリが始まるようです。来週会うときには少しは声を出せるようになっていてくれるだろうか。

母の声を聞けなくなってしばらく立つが、声は必ず取り戻してやろうと色々と本を買った。

他の方の闘病体験

役に立った介護用品
プロフィール
HN:
クローバー
性別:
男性
自己紹介:
兵庫県の片田舎に家族4人で暮らしています。両親は私が生まれ育った大阪にいます。
2008年母がくも膜下出血で倒れたときからの闘病記録です。
↓クリックお願いします
にほんブログ村 介護ブログへ
にほんブログ村 病気ブログ 脳・神経・脊髄の病気へ
にほんブログ村 病気ブログへ
ブログ内検索
カウンター
RSS
カテゴリー一覧
最新情報をチェックする
下のボタンをクリックして当サイトのRSS情報を登録すると、自動的に最新情報がチェックできます。
  • はてなRSSに追加
  • My Yahoo!に追加
  • Googleに追加
  • livedoor Readerに追加
  • goo RSSリーダーに追加
  • exciteリーダー

Template by Crow's nest 忍者ブログ [PR]