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くも膜下出血から脳梗塞へ そのとき家族は 未選択 忍者ブログ
2008年8月母が突然くも膜下出血で倒れました。その後脳梗塞になり、遠く離れた息子の私と妹、 そして母と暮していた父、そしておばさんまで。家族と母の闘病記録を記していきます。
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他の方の闘病体験

10月1日(水)
くも膜下出血後、あと1つ残っていた脳動脈瘤の2度目のクリッピング手術とシャント手術とが終わって6日、どれだけ回復しているか期待を持って病院に向かった。とは言っても父からの毎日の報告で回復の様子が無いことは分っていた。

術後翌日には早くも一般病棟に戻っていた。病室に入るとき見た母はかなりふけているように見えた、髪もかなり切られ白髪も増え老人の様相だった。目は開けていたのでいろいろ話しかけて何度か僅かに頷いたが分っているのかどうかが分らない。

しかし手を握って見てと言うと手を動かそうとするので理解は出来ているのだろう。水頭症の手術後はもっと回復していると思ったのでショックは隠せない。携帯で撮影した娘二人の遊ぶ姿を見せると表情が柔らかくなったので、次はもう少し長いビデオを見せてやろうと思う。

このところ、自分自身もかなり疲れ仕事との両立が困難になってきた。週一度の休みに毎回2時間かけて大阪まで向かい、少し面会してトンボ帰り。忙しい時期と重なって休養をとれず心労がでてきた。

しかし、妹はもっと疲れているだろう、父も同じだ。私だけ甘えるわけには行かない。今、母は必至に戦っているのだ。
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他の方の闘病体験

今日で母が倒れて6日目。何とか脳血管攣縮もおこらず順調に回復しているように見えます。ただ頭痛はかなりひどいらしく座薬も効かないらしい。私はこの症状を聞いてまだまだ安心し切れませんでした。なので今のうちに妻にも一度面会に来てくれるように頼みました。

母は今私の家に来ているお母さんに会いにいけないのをとても残念がっています。何かお土産を買って送りたいが出来ないので私に何か買って送ってくれと言ってきますが、報告代わりに元気になってから一緒に買いに行って送ろうと言いました。それとまだ会社のことを気にして診断書出しといてやと言います。

責任感の強い母にとって会社のこともプレッシャーだったのかなぁと思います。
他の方の闘病体験

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プロフィール
HN:
クローバー
性別:
男性
自己紹介:
兵庫県の片田舎に家族4人で暮らしています。両親は私が生まれ育った大阪にいます。
2008年母がくも膜下出血で倒れたときからの闘病記録です。
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