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くも膜下出血から脳梗塞へ そのとき家族は くも膜下出血から脳梗塞後、リハビリでの回復が見え始める 忍者ブログ
2008年8月母が突然くも膜下出血で倒れました。その後脳梗塞になり、遠く離れた息子の私と妹、 そして母と暮していた父、そしておばさんまで。家族と母の闘病記録を記していきます。
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他の方の闘病体験

10月29日(水)
先週は仕事がたまっていたのと疲れで大阪に行くのを控えたせいか母の状態の変化がよく分かった。まず、理解力と会話が上達。声は小さくテンポは遅いが会話は出来るようになってきている。もちろん、会話が成立していないときは多々あるのだが、母も自分が伝えたいことが言葉にならないと言うことも分っているようだった。
父にはそんなに話さないそうだが。。。

行ってしばらくするとトイレの練習、日常生活のリハビリが始まった。箸も上手に使っていた。そしてビーチボールを使ってのキャッチボールの練習。ボールのキャッチはしっかり出来るが投げ返すことが出来ない。てからボールをうまく離せないようだ。そしてフーセンを使って手で打ち返すリハビリ。これは見事に反応し何度も打ち返せた。

それから風呂の入り方練習。足がうまく上がらず苦戦していたが、何とかクリア。見ているだけでひやひやしましたが。。夕方になりN先生の歩行練習。廊下を歩く練習だったが母は疲れもあり、N先生の少々強引なところとN先生の高いテンションにいまいちついていけない様子でやや不機嫌。

病室に帰って聞くとあの先生はあつかましいから嫌だと言う。まぁこういう感情を表すことが出来るのも一つの回復なのだと思う。コミュニケーションが取れるようになったのはかなりの進歩だと思う。今日は家族で行ったので、娘二人にチョコレートを母があげていた。娘たちが母に話しかけてくれれば母ももっと嬉しいはずなんだが、二人とも母の様子に戸惑うのか人見知り気味。。




他の方の闘病体験


じつは、私の会社での風当たりがきつくなってきた。。。
忙しい時期に長期間休んだことをかなり根に持たれ、かなり理不尽な扱いをされはじめていた。休みのたびに大阪に帰り、残りは仕事でただでさえ身も心もズタズタになっているところに、毎日遅くまでかからないと出来ないような仕事を増やされ、さらには大阪に行かなければならないのに休みの日にも仕事をしないと追いつかないような状態。明らかに社長の嫌がらせが始まっていた。そこで、精神的に不安定になってきそうな危険を感じ、先月の終わりころから心療内科に初めて通っていた。自分の家族も守らなくてはいけないので、今の仕事をやめるわけにはいかないのだ。
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プロフィール
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性別:
男性
自己紹介:
兵庫県の片田舎に家族4人で暮らしています。両親は私が生まれ育った大阪にいます。
2008年母がくも膜下出血で倒れたときからの闘病記録です。
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