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くも膜下出血から脳梗塞へ そのとき家族は 集中治療室にて 忍者ブログ
2008年8月母が突然くも膜下出血で倒れました。その後脳梗塞になり、遠く離れた息子の私と妹、 そして母と暮していた父、そしておばさんまで。家族と母の闘病記録を記していきます。
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他の方の闘病体験

2008年9月1日

今日はおばさんが電車で一人来てくれた。大阪の実感で約2時間近くかけて。。。
仕事先に辞めると伝えたそうだが、休んでいいから続けてくれと言われたらしい。おばさんは介護施設で働いている。

午後の面会時には血圧を上げる注射器による点滴ははずされていた。
看護婦さんによると昼食は初めてすべて食べたらしい。今の状態だから食べれたのか?

母は呼びかけに頷くことも目を開けることも無かったが、私たちが会いにきているのはなんとなく分っている様子。右手もわずかながら握りかえしてくれる。表情もすこし変化する。看護婦さんによると目を開けて笑顔も見せたらしい。


このままの進行がなければ何とかして家族の力で母が話せるように頑張る。おばさんも介護に協力すると言ってくれた。

おばさんが来てくれたことで、私の心も少し明るさを取り戻すことが出来た。やはりどんな状況でも明るさを保たなければならないと感じた。このおばさんは若い頃は保母さんもしていたし、いてくれるとホントに空気が明るくなり家族だけの沈んだ状態を少しばかり和らげてくれた。

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他の方の闘病体験

面会できるのは、朝と昼の各15分程度。

昼の面会
昨夜電話したおばさんと、そのご主人も来てくれた。しかし呼びかけには、母は反応しない。集中治療室に入る前におばさんに、今の母の状態を説明しおそらく反応はしないが耳は聞こえているはずなのでとにかく話しかけて欲しいとお願いした。おばさんは、涙をこらえつつも「よっしゃ!」と言ってくれたのだが。。

妹と私の呼びかけにはわずかながら頷いてくれた。

本日、主治医が休みのため、副院長に状況を聞いた。

右前頭葉の脳梗塞。脳血管攣縮(れんしゅく)がある。そのため最終手段の薬を使用している。脳血管攣縮(れんしゅく)予防のためだが、出血を起こしやすいと言うこと。
2週間までもてば脳血管攣縮(れんしゅく)は防げるのでその後の回復力にかかってくる。

さすがに母に付きっ切りで会社も心配なので社長に電話し状況を伝える。会社のことは考えなくていいので、そばについててあげなさいと言われる。

母が寝たきりになったら会社を辞めて看病するとおばさんは言ってくれた。妹と二人で看病すると。。私が実家から離れて暮らしているのと、私がすぐに引き取る甲斐性がないのが情けない。。

21時過ぎ妹のお母さんから電話があった。様態が急変したことはご存じなかった。


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プロフィール
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クローバー
性別:
男性
自己紹介:
兵庫県の片田舎に家族4人で暮らしています。両親は私が生まれ育った大阪にいます。
2008年母がくも膜下出血で倒れたときからの闘病記録です。
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