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くも膜下出血から脳梗塞へ そのとき家族は  12日目 忍者ブログ
2008年8月母が突然くも膜下出血で倒れました。その後脳梗塞になり、遠く離れた息子の私と妹、 そして母と暮していた父、そしておばさんまで。家族と母の闘病記録を記していきます。
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他の方の闘病体験

2008年9月1日

今日はおばさんが電車で一人来てくれた。大阪の実感で約2時間近くかけて。。。
仕事先に辞めると伝えたそうだが、休んでいいから続けてくれと言われたらしい。おばさんは介護施設で働いている。

午後の面会時には血圧を上げる注射器による点滴ははずされていた。
看護婦さんによると昼食は初めてすべて食べたらしい。今の状態だから食べれたのか?

母は呼びかけに頷くことも目を開けることも無かったが、私たちが会いにきているのはなんとなく分っている様子。右手もわずかながら握りかえしてくれる。表情もすこし変化する。看護婦さんによると目を開けて笑顔も見せたらしい。


このままの進行がなければ何とかして家族の力で母が話せるように頑張る。おばさんも介護に協力すると言ってくれた。

おばさんが来てくれたことで、私の心も少し明るさを取り戻すことが出来た。やはりどんな状況でも明るさを保たなければならないと感じた。このおばさんは若い頃は保母さんもしていたし、いてくれるとホントに空気が明るくなり家族だけの沈んだ状態を少しばかり和らげてくれた。

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他の方の闘病体験


このときばかりは、本当に命だけでも助かってくれてよかったとみんな心から思った。たとえ言葉が話せなく、意思の疎通が出来なく、車椅子生活であっても生きていてさえくれればと感謝の思いで一杯です。

くも膜下出血で病院に運ばれてからの生存率も高くはないことや、助かってもその後の後遺症など色々ネットで見たがとにかく助かってよかった。

中には発見が早かったり、症状が軽くて3日後にはなんとも無く退院というケースも少なからずあるようだ。

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プロフィール
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クローバー
性別:
男性
自己紹介:
兵庫県の片田舎に家族4人で暮らしています。両親は私が生まれ育った大阪にいます。
2008年母がくも膜下出血で倒れたときからの闘病記録です。
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