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くも膜下出血から脳梗塞へ そのとき家族は 様態急変 10日目 忍者ブログ
2008年8月母が突然くも膜下出血で倒れました。その後脳梗塞になり、遠く離れた息子の私と妹、 そして母と暮していた父、そしておばさんまで。家族と母の闘病記録を記していきます。
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他の方の闘病体験

朝、主治医の説明を受ける。何度か今までにれん縮になりかけたが、何とか乗り越えてきた。あとは2週間目の卒業検査で良かったらリハビリにはいり、それから残りの動脈瘤の手術をしましょうと、ここまできたら意地でも元気な姿で帰ってほしいと言われた。

昼の面会
少し様子がおかしい。話すとき言葉を思い出しながら話す。昨日までのようにスラスラと言葉が出ない。目の感じもいつもと様子が違う。れん縮かすいとう症かもしれない。
妻のお母さんと妻、5歳と3歳の娘二人も来てくれた。
上の娘が熱を出していたので、面会後自宅まで送る。
途中休憩しながら20時半実家到着。

このまま自宅で休もうと思ったが、父一人大阪では心配なのでやはり実家に戻ることにした


他の方の闘病体験


同日20時50分
父の携帯に主治医からすぐに来るように電話が入る。
全身痙攣が起こり、意識が無い状態。呼びかけにうっすら反応するぐらいで話すことが出来ない。
CTの結果出血、れん縮、梗塞の恐れがあるということ。もしくはただの痙攣ですむかもしれないと言うこと。最終手段の血液をサラサラにする薬の登用。しかし、この薬によって再出血する恐れがあるということ。

妹に電話。すぐに駆けつけるが面会時間の22時には間に合わず実家に泊まる。

おばさん(母の妹)に連絡を入れる。22:25
何で今まで言ってくれなかったのと電話口で泣きじゃくる。しかし私は心配かけると思ってもう少し良くなってから連絡しようと思っっていた。しかし、今はそうも言っていられない状況。つまり生死がかかっている状態になってしまった。他にも母の兄弟はいるが、とりあえずは母の一番なかの良いこのおばさんにだけ伝え口止めをしておいた。
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プロフィール
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クローバー
性別:
男性
自己紹介:
兵庫県の片田舎に家族4人で暮らしています。両親は私が生まれ育った大阪にいます。
2008年母がくも膜下出血で倒れたときからの闘病記録です。
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