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くも膜下出血から脳梗塞へ そのとき家族は 忍者ブログ
2008年8月母が突然くも膜下出血で倒れました。その後脳梗塞になり、遠く離れた息子の私と妹、 そして母と暮していた父、そしておばさんまで。家族と母の闘病記録を記していきます。
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他の方の闘病体験

家族の介護で仕事を続けられず、会社を辞めたり、転職を繰り返す人が増えています。「介護離職」は、親や配偶者の介護に直面する40、50代を中心に年間約15万人にのぼり、不況下で転職先が見つからず、介護費用の支払いすら困難になる人も少なくありません

以上ここから転載です

まだ、記事には書いていませんでしたが、私は仕事を退職し現在求職中の身でもあります。退職理由は介護だけではありませんが、まさに問題になっている状況の常態そのものです。

介護のため仕事を休んだり、介護疲れのために仕事に支障が出たりしても、この時期会社は冷たいものです。介護する側される側お互いが共倒れになりかねません。そんなこと分っていても会社は助けてくれません。。。みんな最後は自分を守るのが精一杯なんです。

私はこれまで、何度と無く親に助けられたことか。こんなときこそ力になってやらなくてはと思うんですが、退職したことは親には話していません。そんなこと話したら、母は自分を犠牲にしてでも何をするかわかませんし。

大阪に帰るだけでも大変なので、実は退職してからは大阪にほとんど行ってないんです。大事なことがあるとき以外は今は妹と父にまかせっきりの状態なんです。早く仕事が決まって、大阪に帰れるようになりたいんですが。。。
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他の方の闘病体験

10月29日(水)
先週は仕事がたまっていたのと疲れで大阪に行くのを控えたせいか母の状態の変化がよく分かった。まず、理解力と会話が上達。声は小さくテンポは遅いが会話は出来るようになってきている。もちろん、会話が成立していないときは多々あるのだが、母も自分が伝えたいことが言葉にならないと言うことも分っているようだった。
父にはそんなに話さないそうだが。。。

行ってしばらくするとトイレの練習、日常生活のリハビリが始まった。箸も上手に使っていた。そしてビーチボールを使ってのキャッチボールの練習。ボールのキャッチはしっかり出来るが投げ返すことが出来ない。てからボールをうまく離せないようだ。そしてフーセンを使って手で打ち返すリハビリ。これは見事に反応し何度も打ち返せた。

それから風呂の入り方練習。足がうまく上がらず苦戦していたが、何とかクリア。見ているだけでひやひやしましたが。。夕方になりN先生の歩行練習。廊下を歩く練習だったが母は疲れもあり、N先生の少々強引なところとN先生の高いテンションにいまいちついていけない様子でやや不機嫌。

病室に帰って聞くとあの先生はあつかましいから嫌だと言う。まぁこういう感情を表すことが出来るのも一つの回復なのだと思う。コミュニケーションが取れるようになったのはかなりの進歩だと思う。今日は家族で行ったので、娘二人にチョコレートを母があげていた。娘たちが母に話しかけてくれれば母ももっと嬉しいはずなんだが、二人とも母の様子に戸惑うのか人見知り気味。。




他の方の闘病体験

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プロフィール
HN:
クローバー
性別:
男性
自己紹介:
兵庫県の片田舎に家族4人で暮らしています。両親は私が生まれ育った大阪にいます。
2008年母がくも膜下出血で倒れたときからの闘病記録です。
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