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くも膜下出血から脳梗塞へ そのとき家族は 未選択 忍者ブログ
2008年8月母が突然くも膜下出血で倒れました。その後脳梗塞になり、遠く離れた息子の私と妹、 そして母と暮していた父、そしておばさんまで。家族と母の闘病記録を記していきます。
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他の方の闘病体験

23日
朝9時から担当医に状況を聞く。
手術は成功したが、まだ脳の中には血液がたくさん残っているので、それを抜くために腰から管を入れている。血液が残っていると血管攣縮が起こりやすいということです。後は攣縮がとにかく起こらないようにこのままいってくれればリハビリにはいり、残りの動脈瘤の手術をしましょうと言うことでした。


午後2時から母との面会。
両目のまぶたが内出血でかなりはれていたが、意識もしっかりしていて普通にしっかり話が出来た。記憶もしっかりしていて24日に私の家に来て嫁のお母さんとも会いたかったと言っていた。仕事先に少し休まないといけないので電話してくれたか何度も言ってくる。両手両足どこも問題なく動く。ただ頭痛がひどくて食事も食べれないと言うことだった。

でもすぐに退院できると思っていたようです。そして先生にも説明を受けて自分は動脈瘤破裂によるくも膜下出血でまだ一つ動脈瘤が残っているのも知っていました。だから「あと一ヶ月はかかると思うから会社に電話して、ちゃんと診断書出しといてや」とこれから毎日言われることになりました。


面会できるのは10分ぐらいなのでそこから出来るだけ母の状況を把握しようと、質問したりするがあっという間なので、また夕方の面会時間に会いに行く。実家から車で15分ほどのところに、この脳神経外科病院があったので本当に助かっています。
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他の方の闘病体験

病院には9時過ぎに到着しました。

すでにカテーテルで造影剤をいれCTIなど何種類もの検査は済んでいました。

10時から手術に入ると言うことでした。
その前に担当医から説明を受けました。脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血でした。
動脈瘤は3つあり、そのうちの一つが破裂し、出血は脳全体におよんでいました。クリッピング手術をするということです。他の未破裂の動脈瘤も同時手術にしたいが、場所的に難しいのでまずは破裂しているところをとめて残りは、あとでということだった。

それから、手術は5時間かかりましたが手術は成功しレントゲン写真を元に説明を受けました。

意識もしっかりしていて、体の麻痺も無いということでした。しかし、これからの2週間の間は脳血管攣縮がおこることがあるので、それが起こらないように点滴をしているようです。血液が流れやすくなる薬、血管を保護する薬、血圧が下がらないようにする薬など。。。


面会したときは母はまだ麻酔で眠っていましたのでいったん家に戻りました。
会社に電話し、明日の母の様態を確認してから、会社に行くと伝えました。社長は今は仕事のことを考えずお母さんのことだけを考えてればいいからまだそばについててあげなさい。と言ってくれました。

わたしは、まだこの時点で、これから起こりうるさまざま難関が分っていなかったのです。

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プロフィール
HN:
クローバー
性別:
男性
自己紹介:
兵庫県の片田舎に家族4人で暮らしています。両親は私が生まれ育った大阪にいます。
2008年母がくも膜下出血で倒れたときからの闘病記録です。
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